あおとわたし

3人の子供がいます。まんなかのあおは、中間子あるあるなのか、発達特性か、きょうだい児(下の子がダウン症)あるあるなのか、少しこじれ中。年長から児童発達支援つかってます。

たこを揚げるあお

冬休み。

長らく箸をこじらせていたあおが、わたしがDAISOで買ってきた補助グッズ(箸の上をうごかなくするキャップのようなもの)を見て使いだし、2日もするとそれを外してできると言い出した。持ち方が変な時もあるけどとにかく使うだけでも進歩なので目をつむり、使えたときは感心して見せている。

12月29日、年内最後のST(言語訓練)。サ行は完璧。ツとチが課題だけど単語カードでは言えてるとか。間違いの再現と訂正もできる。来年度はST卒業かも、と言われる。

1月4日。学童へゆっくり登所(10時半)。お弁当に箸を持っていくという(初めて)。布製のカトラリーケースからはみでるスティッチの箸をむりやりつっこんでいった。スプーンフォークも持たせる。

1月5日。学童に10時登所。この日は書き初め。黒いトレーナーと紺の暖パンを着ていかせる。初の習字。結構良い感じの作品をガサガサと持ち帰る。

1月6日。学童で凧つくりと凧あげ。めちゃめちゃとんだ!!という。わたしは凧揚げが下手なので感心してしまう。コツを聞くと「めちゃめちゃ走る」と答える。あと駅伝もやったらしい。2日と3日はわたしの趣味で箱根駅伝を見たし、1日の朝は実業団の駅伝も見ていた。最近はあおという名前の男の子がたくさんいるので、駒沢とか青学とかに同じ名前の選手がいてあおはそれはそれは盛り上がっていたので駅伝に参加したらしい。羽根つきはぜんぜんできなかったからやらなかった、とのこと。

1月9日の祝日。近所の小学校でどんと焼きがあり、手作りの凧をもって出かける。校庭の隅の遊具に夢中になったあとは消防車に乗れるコーナーから離れず、並ぶ子がいなくなったら下りずにずっとともだちと前の座席に乗っている。のゆは後ろの座席が気に入り、やはり、乗ったり降りたりを繰り返していた。あおは最初は後部座席で見つけた誘導灯をふりあげて喜び、そのあとは無線マイクを見つけて喜んで歌を歌いまくっていた。時間になって消防車から降ろされてやっと凧を揚げるといって走り出す。ともだちも一緒に走った。もうあまり飛ばなかった。すっかりくたびれた凧なのだった。家にかえってみんなであたたかい蕎麦を食べた。

 

読んだ本 

1月3日『怪物園』(わたしがjunaida展で買ってきたもの) 

1月9日朝『ねずみとくじら』『ねこのオーランドー農場を買う』『しろいうさぎくろいうさぎ』『ピエールくんは黒がすき』『いのちの木』夜『こぶたくん』から2話。

 1月10日『こぶたくん』から1話。

 

#発達グレー男子

あおのみかた

夏休み、いつもはわたしだけで面談に行く発達クリニックにあおも連れて行くことになっていたので、のゆが預かりの日の朝イチに予約を入れた。初診時には「過剰に反抗的」と指摘されたあおだけど、今は予想通り、暴れたり逃げ出すことはなく、でも積極的に会話することはなくじっとしている。だんだん嫌すぎてだれていくと…という感じで、しまいには猫のように椅子の上に丸くなってしまう。

 

学校はどうー?楽しい?なんて問いかけには答えるはずもないが、「夏休み宿題出てるの?」と問われわたしが小声で、「どうだっけ?」と水をむけると、怒ったように小さい声で「出てるよ!」とささやくのだった。

 

終わったら市民プールに行くことになっていたので終わったらさっさと歩き出し、自転車に乗ったところで「どうしてじぶんでおはなししないのー?先生、あおの味方だよ」と言ってみると、勢いよく「敵だよ!」と言う。「『みかた』っていうのは、家と学校と幼稚園とかだけ!」と。学校が「みかた」だと聞けて本当によかったと思いつつ、「え?体操(療育)は?ロボットは?パルクールは?」などと言ってみたら「そういうのは『ともだち』だけど、今日のみたいのは『てき』!だからああやって隠れてるの!」とはっきり、主張された。自分をジャッジしてくる大人には驚くほど敏感なので、まあそうなのかなと思いつつ。とりあえずやっぱり、家も幼稚園も学校も味方だと言ってくれてホッとする。

 

ちなみに、先生は敵どころか物凄く心強い味方であるのはもちろんで、あおが「置いてくるべき着替えをいつも持ち帰るのでヤドカリみたいにみんな持ち歩いてる」とわたしが言うと、「どうして置いて来れないのかな?」と聞いてくれ、その時だけはあおが「リュックの中が暗くて見えないんだ!」と主張すると、「リュックの中は何色?」とさらに聞かれる。「中は黒くて筒形の大きいリュックです」というと「中に明るい色で内張をして見えるようにして、着替えの袋も黄色とか置いてくるものはこれと決めて。」と言う。見えるようにしたらきっと忘れない。道具の調整で改善できることなら、本人ができないと毎日叱られるより、調整してできるようにした方がいい。これが環境調整というものか!と、目から鱗が落ちたのだった。おいてくる!と大きくメモをつけたりしていたけど、それだって字が目に飛び込めば自動的に意味を捉えられるわたしの感覚での手助けだった。いつでもこのエピソードを覚えて環境調整できないか考える癖をつけたいなと、心から思う。それは決して甘やかし、でも、過保護、でもないのだから。だからじつは、先生はすごいプロで、すごい「味方」なんだけどね。それを彼が理解する日が来るかその前に通わなくなるか、まだそれはわからない。

 

#発達障害

#愛着障害

#グレーゾーン

#多動

#多動男子

ハムスターのようにかけまわる

あおの学校の学童にわたしは時々迎えにいく。4時なら集団下校だけど、それ以外の時間はまだ基本的にはお迎え推奨なのだ。学童に寄らずに下校する子は勝手に帰っているので、これは、学童=遅くなるから、という配慮なのだと思う。自転車を正門に止め、思い思いに子どもが遊ぶ中庭を通って学童の玄関に着くと、4月の最初は、それはもう雑然としてこどもたちは上へ下への大騒ぎ。カゴの中のハムスターのように駆け回っていた。夕方なので帰る支度をする子ども、バスの時間を呼びかけるスタッフ、その真ん中で悠々と電車のレールを広げる子ども。しっちゃかめっちゃかだ。迎えにいく時間を伝えていても、帰り支度をして待たせてくれるとは限らず、「あ、あおお迎え!あおどこ?あお見なかった?」なんてこともあった(ので、少し時間に余裕を持って迎えにいくんだけど、一度スタッフの人にあれ?とホワイトボードのメモを確認され、「あ、早いんですね!」と言われたのであまり違う時間に行くのも悪いなあと思うので難しい。)

 

この学校の説明会に来た時から、もし入学するならこの学童セットだ、と心に決めていた。とはいえこの雑然ぶりを、当時の私が見たらどう思ったかはわからない。何しろ小さな小さな幼稚園で手厚く目が行き届きまくる生活を送っていた我が家の子どもたち。それを選んだのはわたしだ。でも今となっては、このくらいてきどにほおっておかれる時間が、あおにはきっと必要だなあと思う。学校とはいえ、一年生は担任も手厚い。教室ではそんなに困ることはないだろう。学童はきっとそれに比べたら少しハードモード、まだ流れがよくわからず、訳もわからず「怒られたー」と言ってることもある。でも多分そうやって、「身の振り方」みたいなものを学んでるのだ。

 

あおは、入学して数日で、駅までのお迎えに来ないで!と言い始めた。のゆをベビーカーに乗せていると改札まで行くのはちょっと面倒なので、2週間目からは駅前のバス停で待つことにした。その初日、あおは筆箱と靴下を手に持ったまま駅から降りてきた。「なんで?!しまえば?!」と思わずいう。よくよく聞くと、「ギリギリに部屋に帰ったから、もう行くよーって言われて、靴下はもういいや!ってつかんできたの」と言う。目に浮かぶよう。そのまま駅まで歩いて電車に乗って降りてくるまでそのままというのは謎だけど…両手に物を持っててリュックを下ろしてそれらを中にしまうことの方が、きっと難しかったのだろう。でもそうやって、帰る時間までに支度をしておかないと困るぞ、とか、時間を気にすることとかを、覚えていくんだ、と思う。決まった時間に準備が完了するよう、事前に合図があり、声かけがあった幼稚園では彼はそれを学ばなかった。困って、乗りこえて、学んで欲しい。

 

とはいえ連休明けにまた迎えに行くと、その日は天気が良いせいか室内に子どもの数は少なく、すっかりハムスターキッズはいなくなっていた。寂しいような、感心するような。お迎えに行くのは、ちょっと面倒だけど楽しみでもあるこの頃だ。

学校に入ってあおは

あおは4月に小学生になった。家から比較的近く、しょっちゅう大きな公園や上水路に散歩に行き、体験学習が豊富だという私学にいくことになった。そこがまさにあおにぴったりで、いまのあおがのびのびと過ごせる場所な気がして、学校にいることが心を落ち着けてくれることを期待して、併設の学童にも入れた。1日の大半を学校で過ごすのだ、それは賭けだけど、細切れの生活をするより、一箇所で思い切りあそんでくる方が落ち着くような気がして、平日の習い事は減らして、ほとんど毎日学童に立ち寄れるようにした。

 

果たして、金曜日の入学式を終えて週末開けた月曜日。初日から学童で4時まで遊び、集団下校で途中まで帰り、わたしが約束の場所で待っていると、めちゃめちゃ楽しかったー!と言って、あおが帰ってきた。その日はたまたま訪問リハも入ってて、STの先生、翌日はOTの先生が来たけど、いつになくおしゃべりで、しかも長く会話が続いていた。今まではあおが一方的にしゃべり、先生が何か返してくれてもそこで会話が終わっていたのに。なんか朗らかになったなあ、おちついたなあと2日ほどで、わたしは思うようになった。

 

池に入って着替えてきたり、靴が濡れたからと上履きで帰ってきたり、そんなことが日常茶飯事で、あめのひにおむかえにいってもこどもたちが傘をさして外で思い思いに過ごしていたりする。あおの持ち物のなかみはいまのところ、お弁当、水筒、着替え、連絡ノート。自然体験にいくのと、変わらない。簡単な宿題プリントも嫌がらず、おどろいたことに、ひらがなのあまりにも間違った形状でたくさん書いていたプリントの文字をわたしが消してやり直しにしても怒ることもなく、がんばってただしい字になるまで、書き上げた。本当によかった、環境とはかくも明らかに影響するものかと、わたしは日々、嘆息するのみだ。

 

診断ということば

個別療育での出会いや私に甘えられるようになったことで劇的に変化したあおなので、療育につながったことは本当に良かったと思っている。小学校に上がってからも療育を使うにはうちの自治体では診断が必要なので、9月から相談に行っている発達クリニックで、ついに診断書を書いてもらった。

甘えるようになり落ち着いたこと、

朝起きてゴロゴロして何もしない!と最初の頃に相談したのを覚えているけど今では「ママきて!」「抱っこして!」などと言うようになったこと。応えないと拗ねて面倒なんだけど、やっと言葉にできるようになったこと。

そんな話を聞いて先生が提案したのは『愛着障害』だった。「愛着障害、って言うのがお母さん的に嫌だったらADHDで書いておくけど」と言われたけど、わたしはむしろ腑に落ちて、スッキリしたので、「いえ、その通りと思うのでそれでお願いします」と言った。

 

あおが発達障害とか、ADHDというのはどうもピンとこないところもあった。生まれた時からなかなか寝ないとか、勘が強くて大変だったと言う話も聞く中で、あおはまったくそんなこともなかった。いつもニコニコのご機嫌な赤ちゃんだった。ペアレントレーニングで出会う他のお母さんの話を聞くと、もっと違う特徴を表す子が多い気もした。環境的な、後天的なことで、SOSを出していたのだと思うと、だから、腑に落ちるのだった。

 

愛着障害発達障害とでは望ましい対処が真逆なこともあるが、同じような問題行動が現れるのでパッと見、混合されやすい。そう言う講座を一度オンラインで聞いたことはあったが、愛着障害というものの方が近いようです、と当時の療育の担当だった心理士に伝えてもあまりこれと言った反応もなかったので、原因探しはやめてしまっていた。でもやはり、わかるということは心を軽くする。言語化は最大のデトックスツールだと上野千鶴子さんが言っていたけど、まさに診断という言葉が私の中のモヤモヤに、ふっと、形を与えたのだった。

 

診断は時に残酷で的外れな重荷にもなる。でも今のわたしは聞くことができてよかった。今は求められるだけ、応えていく。それが私にできることだと、先生にも太鼓判をもらい、ミッションがクリアになった感じ。ベタベタはちょっと苦手なんだけど…セラピーだと思ってやります、と私は答えたのだった。

 

#愛着障害

#発達障害

 

着ぐるみのあお。

昨日はあおと遠出をした。あおが最近気に入っているくまの着ぐるみを着ていくというので、さすがに家からその格好で遊びに行くのは?と思ったけど案外馴染んで、くまの着ぐるみの上にいつもの青いリュックを背負ってバスで出かけた。

 

着ぐるみと言っても本当は赤ちゃん向けのカバーオールみたいなもので、ディズニーシーに行った時、くまの着ぐるみを着ている子供たちを見て俄然、のゆに着せたくなり(というかこのくまの着ぐるみは足が出るので歩いてから着れて、ぬいぐるみが歩いているようでとてもかわいいので絶対着せたい、とあおの時も思っていた)、でもパークのお店では小さいサイズしか売っていないというのでネットで買った、100センチの赤ちゃん向けの着ぐるみなのだけど、届いてみたら布団のように分厚くて、のゆは嫌がるし全く似合わず、これは失敗、返品できないかしらと思っていたのをあおが気に入って着ているのである。股下のスナップを止めずワンピースをかぶるようにして着ている。のゆと遊ぶだけでなく、時々それで普通にテレビを見ていたりする。くるまれていることや、すべすべツルツル、ふわふわといった好きな感触の布があるようなので、落ち着くのだろうか。昨日は電車では暑いと言ったけどそれ以外は結果そのくまの姿で過ごした。普通に歩いて、ご飯も食べて、リュックも背負って、よく遊んだ。『怪獣たちのいるところ』のマックスを思い出す。あの子もこう言う子だったのかな。着ぐるみを着て、荒れ狂っていた、そういえば兄と姉がいたような(映画版)。あおいの荒れは、発達障害的なものというより中間子のそれであるような気がしてきた。おとといの個別療育でも、わたしとやるゲームをリクエストしたり、立体パズルを組むのにわたしの膝に座っていたりした。のゆがわたしに甘えすぎだと怒ることも出てきた。おうおう、たくさん怒れ。と思っている。たくさん甘えてたくさん怒って、たくさん、手を伸ばしてほしい。

 

 

あお、ドラムをたたく。


あおはもう1年くらい、音楽の話題になると「ドラムをやりたい!」と言い続けていたので、ついに年末に教室を探して、昨日はドラム体験に行ってきた。「こどもむけレッスンの講師」を想像していたら、ジャズバンドの演奏者みたいな三揃い(というの?)を着た小太りのおじさんが立っていてびっくりしたけど、その人の手にドラムスティックがあった。
なんでドラムに興味を持ったのかと聞かれて、(音楽に合わせて動くのが得意で音楽が好きだけどじっと座らないのでピアノって感じでもなく、ちょい本格的なダンスに行かせたら2回で嫌だと言われ、リトミックを続けたかったけど日本は大きい子のリトミックがあまりないし、でも何かやらせたい、どうしたものかと思ってた時…)という背景は省略して、「ドラムなんかいいんじゃない?って誰か言ったのかもしれません、それで動画観たり…?」と言うとあおが「違う!」とキッパリと言う。なので、きっかけは不明。
先生は、「自分も、このくらいの時にドラム叩くって決めてましたよ。いつかあれをやるって。実際始めたのはもっと遅かったけど。そう言う感じもしれませんね。」と、そこはかとなく嬉しそうだった。まあたしかに、あおはそういう直感みたいなものは割といい方だ。
その後30分、先生の話を真剣に聞いて真似して、集中切れることもなくやり遂げた。リズム感のないわたしは、ドラムだけ叩いてどのくらい楽しいもんなんだろうと思っていたけど、最後に曲に合わせて叩かせてもらっていた時はものすごく楽しくて、これはいい!とすっかり盛り上がる(心の中と、拍手と、体で)。あおは、スタジオを出てから、絶対また来る!と言って、ノリノリで、あらゆるものを叩こうとするので抑えるのにキレそうになりながら、入会手続き。2月から月に2回、通うことになった。

 

翌朝、先生からメールがきた。「あおくんはとてもドラムがお好きなようですね。自分が小さかった頃を思い出します。足も使ってみたい気持ちがあって、それを動作で表現しているのが印象的でした。きっと上手になると思いますので、頑張ってレッスンしたいと思っています。」と書いてあって、なんだかとても嬉しかった。人が良さそうな、まだこの教室は新人で営業は下手で…とアセアセしながら、手続き間違えながら、たまたまいたちょっとイケメン風の若い講師に何度も質問しながら手続きしてくれた先生なので、誰を見ても良いふうに思う方なんだろうとおもうけど、それでも嬉しい。悩みが多いあおだけに、ちょっとでも彼を認めてくれる大人に出会うと、わたしは感動してしまうのである。

本人が好きだと思うことたくさんで、生活を埋め尽くしてあげたい。学校も楽しそうな学校を選んだ。それでもやらなきゃいけないことややりたくないこともあるだろうけど、放課後や休日、勉強がきつくなさそうな分、愉しくしたい。一年頑張って練習して、サンタさんにドラムセットをもらおうかと話しながら帰宅した、気の早い帰り道だった。