あおとわたし

3人の子供がいます。まんなかのあおは、中間子あるあるなのか、発達特性か、きょうだい児(下の子がダウン症)あるあるなのか、少しこじれ中。年長から児童発達支援つかってます。

診断ということば

個別療育での出会いや私に甘えられるようになったことで劇的に変化したあおなので、療育につながったことは本当に良かったと思っている。小学校に上がってからも療育を使うにはうちの自治体では診断が必要なので、9月から相談に行っている発達クリニックで、ついに診断書を書いてもらった。

甘えるようになり落ち着いたこと、

朝起きてゴロゴロして何もしない!と最初の頃に相談したのを覚えているけど今では「ママきて!」「抱っこして!」などと言うようになったこと。応えないと拗ねて面倒なんだけど、やっと言葉にできるようになったこと。

そんな話を聞いて先生が提案したのは『愛着障害』だった。「愛着障害、って言うのがお母さん的に嫌だったらADHDで書いておくけど」と言われたけど、わたしはむしろ腑に落ちて、スッキリしたので、「いえ、その通りと思うのでそれでお願いします」と言った。

 

あおが発達障害とか、ADHDというのはどうもピンとこないところもあった。生まれた時からなかなか寝ないとか、勘が強くて大変だったと言う話も聞く中で、あおはまったくそんなこともなかった。いつもニコニコのご機嫌な赤ちゃんだった。ペアレントレーニングで出会う他のお母さんの話を聞くと、もっと違う特徴を表す子が多い気もした。環境的な、後天的なことで、SOSを出していたのだと思うと、だから、腑に落ちるのだった。

 

愛着障害発達障害とでは望ましい対処が真逆なこともあるが、同じような問題行動が現れるのでパッと見、混合されやすい。そう言う講座を一度オンラインで聞いたことはあったが、愛着障害というものの方が近いようです、と当時の療育の担当だった心理士に伝えてもあまりこれと言った反応もなかったので、原因探しはやめてしまっていた。でもやはり、わかるということは心を軽くする。言語化は最大のデトックスツールだと上野千鶴子さんが言っていたけど、まさに診断という言葉が私の中のモヤモヤに、ふっと、形を与えたのだった。

 

診断は時に残酷で的外れな重荷にもなる。でも今のわたしは聞くことができてよかった。今は求められるだけ、応えていく。それが私にできることだと、先生にも太鼓判をもらい、ミッションがクリアになった感じ。ベタベタはちょっと苦手なんだけど…セラピーだと思ってやります、と私は答えたのだった。

 

#愛着障害

#発達障害