あおとわたし

3人の子供がいます。まんなかのあおは、中間子あるあるなのか、発達特性か、きょうだい児(下の子がダウン症)あるあるなのか、少しこじれ中。年長から児童発達支援つかってます。

やさしい波止場

あおの担任の先生がことしで退職するらしい。それを聞いて目の前が真っ暗になっているのはあおよりもわたしで、それほど、この一年先生に助けてもらったこどもはいない、そしてわたしだけでなく何人もの親がそう思っているようだ。

 

こどもたちからUちゃんと親しみを込めて呼ばれるその先生が、コロナにに罹患して1週間お休みした時、わたしは何も知らなかったけどあおは次々やってくる代理の先生にふざけ続け授業妨害を繰り返した、とあとで聞いた。それが我が家のこの一年の絶望のマックスだったろう。Uちゃんがいたらそんなことはしない。でもいなかったら?来年度は?その先生がいれば大丈夫、ではわたしの不安はおさめることはできなかった。冬休みは、親子の時間をたくさん作ってあげてください。その時Uちゃんはそう言った。Uちゃんは、ことあるごとに電話してきたりはしない、面談で「えー!」となることばかりだったけど、でも1年間、間違いなく私たち親子の波止場だった。

でも今、ショックだ、心配だ、真っ暗だと思いながら少しだけあおに期待している気持ちがあって、それは、最近あおが目に見えて成長してきたと思っているから。それは、意外にも作文を書くことから始まった。

 

3学期、終わりの会でその日心に残っていることを書く、と言う作業が始まった。1日目からあおの作文はイカしてた。跳び箱を練習したと言う作文で、タイトルは『おしり』だった。おしりを高く上げると習って、そうしたら体がフワッと浮いたんだそうだ。その作文に『おしり』と言うタイトルがあり、Uちゃんはそれを、「大傑作」と言って「文の『しかけ』がもうできている!」と絶賛してくれた。わたしも毎日の作文が楽しみだった。親がコメントを書き、先生がコメントを書き、返ってきたものはファイリングした。ある日、その作文に、驚くことが書いてあった。「きょうはこくごでしゅうちゅうして、りずむはできなかったけど、おんがくで、はじめてせんせいのいういいこえでうたったら、すごくきもちよかった」という。国語でリズムをやるの?と聞いたら「音楽!」と怒られた。国語で集中して遅れていったから、リズムは終わっていた、と言うのだった。それにしてもなんと!あおはずっと、音楽の授業が嫌い、と言い続けていて、わたしはひそかに悲しんでいたのに!いい声で歌って気持ちがよかったなんて!何があったのだろう?こんなことがあるのかと、そのいつか、を待つしかないものなのかなと、喜びつつも思っていたら、その話には、まだ裏があった。国語で集中、も、また作文だったのだ。

 

その日は終わったばかりの発表会についての作文を国語の授業で書いていた。あおは書き終わらず、休み時間も1人で書いて、それでも終わらなくて、次は音楽の授業だった。Uちゃんが声をかけると「これ、終わらせたい!」と言い、Uちゃんは、「わかった!これ終わらせよう!」と、教室でふたり、あおが書き終わるまで待ってくれたそうだ。音楽の授業半分くらいもたってから作文は書き上がり、Uちゃんが音楽の授業に送っていった。そして、あの「いい声」のくだりと、なったのだった。

 

その時Uちゃんが、「次音楽の授業だから、またあとで書こうね!」といってやめさせていたら(そしてそれは学校でも家庭でも往々にしてあることだ)…多分音楽では机をガタガタ、歌は歌わず、作文ももう、書かなかっただろう。出来上がった作文は3枚あった。タイトルは「じしんまんまん」。発表会の劇は「じしんまんまん」だったんだそうだ。でも途中で、みんなが頑張ってるからじぶんもがんばれるってわかった。と書いてあった。そんなお手本みたいなこと,教えたことないのに!笑。

 

Uちゃんはあおの、芽が伸びる瞬間を捉えて伸ばしてくれた。山に一歩足をかけたところをそっと支えてくれた。じゃましなかった、と言ってもいい。じゃますることばかりしている、とわたしは自分でおもう。来年Uちゃんがいなくて心配だとわたしが言えば、Uちゃんはきっと、いまのあおなら大丈夫、と言うだろう。そうなのかな。そうだといいけど。そしてわたしも、じゃましないおとなになれるだろうか。あおはまた、じゃましないおとなに、出会えるだろうか。こどものそだちとは、それを支えるとは、なんとシンプルで、だからこそ、難しいのだろうかと、別れの辛さ以上に、今、思っている。