あおとわたし

3人の子供がいます。まんなかのあおは、中間子あるあるなのか、発達特性か、きょうだい児(下の子がダウン症)あるあるなのか、少しこじれ中。年長から児童発達支援つかってます。

アイム ホーム!

 


きのうはあおの療育で、のゆを幼稚園に預けたままにして2人で行ってみた。いつもはのゆを連れて行くので部屋の隅で2人で見学したり、マジックミラー付きの別室で待たせてもらったりするのだけど、時間帯を変えたこともあり、のゆは幼稚園に残らせることにしたのだ。

 

いつもの時間より早いのでほかのこどもが誰もいなく、広い部屋につい立てを立てて先生と向かい合い、わたしのための小さな椅子が壁際に置いてあった。とつぜん、あおがわたしの背中と壁の間にもぐりこみ、べたべたと甘えてきた。ママママママ〜というようなことを言っている。それはもうびっくりするくらいの甘え方で、先生が「おうちではいつもこんな感じですか?」というので、「いえ、こんなの見たことないですね」と言うと先生は、「そうなんだ…」としみじみ。「じゃあ先生邪魔しないからさ、とりあえずこのゲーム片付けようか?」と言っても、あおはうねうねとわたしに絡みついて離れない。こんなのあまりないです、歩き出したと思ったら1人でどっか行ってるような子だったから…、と言ったけど、確かにそうだけど、きっとまあ、すぐにのゆが産まれて、家の中がバタバタして、通院だ入院だと留守番が多くなり、わたしは2年ほどはのゆに持っていかれてるような状態だったと思う。ありとあらゆる人に人見知りせず懐き、1人で遊び、よく眠り、楽しく暮らしているようだったけどそれは本人の生き抜く戦術だったのだろうと、今はわかる。先生は「甘えられてよかったねえ、言えるようになったんだねえ」と、心底、よかったなあと言う気持ちで見てくれた。そのとき突然あおが、会話の中の「家」という単語を拾って「イエー!イエーイ!イエー!」と叫び始め、わたしに巻きついたまま、「いえー!おれのいえー!」と叫んだのだ。ただの言葉遊びなんだろうけど、と思いつつじーんとしていると、「おれのいえー!」とわたしに抱きついてきたので、なんだか、「あなたが自分の家だよ」と言われているようで、ああこれはすごい言葉だなと、すこし、涙が出そうになった。

 

家で1人で遊んでいると、変なことばを繰り返して自分でテンション上がりすぎ、うるさくしすぎ、暴れすぎて咎められる、ということが、あおにはある。療育先の面談でそれを話すと「そうやって暇を潰すのが習慣になってるんじゃないかな」と言われたことがあった。1人で遊んでるし、ママ来て!と強く言われることもないから遊ばせていた。というかむしろ家で仕事や家のことをしながら子どもと過ごすことの多い主婦であるわたしにとって、子育ての最上のラッキーは「こどもが1人で集中して満足して遊んでくれている(できればテレビを除く)」と言う時間であり、それが家事タイム、仕事タイム、わずかなコーヒータイムだったりするのですっかりそう言う頭になっていたけど、「ママ来て!」と言わないからと言って求めていないとは限らないし、甘えてくるけど邪険にされる、みたいなわかりやすい形ではなく、あおは、甘える機会を、奪われ続けてきたのだと思う。おっとは定期的にそんなあおとの時間を増やすべく、添い寝したり、ゲームしたり、朝遊んだりと困難を感じた時ほど仕事を調整して工夫していたし、その都度少しの効果が見られていた。わたしがのゆりに手がかかる、と言うのは仕方ないから自分があおを受け止めなくちゃ、とずっと、言ってきた。それはわたしにこそ必要な発想だったんだと思う。

 

その日は帰宅してからもいつになくわたしに甘えて、「ママ大好き!」と言ってきたり、反対にのゆを邪険にしたりした。いつも放っておいたらいつまでも2人で遊んでいるのに、のゆを邪魔にして、わたしと遊びたいのだと言った。それはごくまっとうな兄の姿でもある。のゆがいろんなノートやプリントやシールの入ったスペースを全部出しているのを放置し、あおと1時間半、『ウォーリーをさがせ』をやった。それから少しテレビを見せて、お風呂に入らせ、予定より遅れて夕飯にした。こんな日をどのくらい繰り返せたら、あおの、欠落した思いが埋められるのかわからない。あなたがわたしのイエ。そんなふうに、アイム ホーム!と帰ってきてくれるように、やたしはあおに、甘えてもらえるところから、始めなくてはならないと思う。